フィリピン・ミンダナオ島
フィリピンは 7,107の島々からなる島国で、ルソン島とその周辺の島々からなるルソン諸島、ミンダナオ島とその周辺の小さな島々からなるミンダナオ諸島、およびルソンとミンダナオの間にあるビサヤ諸島の3つの地域に分けることができます。
首都マニラがある北部のルソン島はフィリピン最大の島で、ココウェルのエキストラバージンココナッツオイルやプレミアムココナッツオイルがこのルソン島南部の農村部で生産されています。
中部のビサヤ諸島にはフィリピン第2の都市セブ市があるセブ島、マスコバド糖の生産で知られるネグロス島、2014年11月の大型台風で大きな被害を受けたレイテ島などが位置します。そして南部にあるルソン島に次いで大きな島がミンダナオ島です。今回は今後の発展が期待されるミンダナオ島をご紹介致します。
ミンダナオ島はフィリピン人口の約24% 、面積の約35%を占めています。フィリピンは世界で最も多く台風被害を受ける国で、毎年経済的に、特にインフラや農業に対する被害が少なくありませんが、ミンダナオ島は比較的台風の進路には当たらず、土地も豊かで農業に適しています。
ミンダナオ島で農産物が安定して生産されることは、フィリピン全体の食糧自給に大きく貢献しています。日本で販売されているパイナップルやバナナのほとんどはミンダナオ産であり、またココナッツの生産も非常に多く、ココウェルのココナッツシュガーもミンダナオ島で生産されています。
しかし気候が良く土地も豊かで農作物も豊富であるにもかかわらず、ミンダナオ島の開発は非常に遅れています。2015年の公式統計によると、貧困率上位10の州のうち7州がミンダナオ島にあります。フィリピンの国民的英雄であるプロボクサーのマニー・パッキャオも、この7州の中の一つブキドノン州に生まれ、同じくミンダナオ島のサウスコタバト州で育てられました。極度の貧困により14歳のときに家族と離れ、ミンダナオ島を出てマニラで一旗揚げました。
ミンダナオ島の開発が遅れている原因は様々ありますが、その一つはイスラム分離組織による紛争です。ミンダナオ島では14世紀からイスラム教が根付き,独自の社会や文化をつくってきました。イスラム教徒は「モロ族」と呼ばれ、ミンダナオ島南部を中心に、長く自治・独立を求めフィリピン政府に抵抗を続けてきました。40年にもわたる紛争が続き、治安が悪化したことからミンダナオ島の開発が中々進みませんでした。
もう一つは、フィリピンの行政府・立法府の指導者のほとんどがルソン島とビサヤ諸島の出身だったため、これまで国政においてミンダナオ島は十分な代表権を与えられず、公共事業や経済開発プロジェクトはルソン島及びビサヤ諸島を中心に実施されてきました。しかし2016年6月にフィリピンの大統領に就任したドゥテルテ氏は、ミンダナオ島にあるダバオ市の元市長であり、ミンダナオ島が抱えている様々な問題をよく理解していました。ダバオ市はミンダナオ地方の中心都市であり、近年は経済が発展し、治安の良い都市として知られるようになりました。ダバオ市はかつて治安が悪く、市内で犯罪者や共産ゲリラによる銃撃戦が多発していましたが、ドゥテルテ氏が1986年から市長を22年間務め、ダバオ市の治安と経済を大幅に改善させたことは彼の功績と言えるでしょう。
日本も独立行政法人国際協力機構(JICA)を通じて、早い段階からミンダナオ島の平和構築と貧困問題解決に大きく関わり、成果を上げています。日本外務省とJICAは1960 年代から2013年にかけてミンダナオ地方に対して151億円に相当する様々な開発援助 プロジェクトを実現してきました。特に紛争影響地域に対して、平和構築と貧困からの脱却を実現するため積極的に地域開発を促進しています。JICAが2013年から作成し始めた中期・長期開発計画は2016年6月にフィリピン政府に提出され、この開発計画はミンダナオ島において平和構築と雇用創出を促進しています。