ココウェルの原点を訪ねて 第2回(全4回)
次に訪れたのはレイテ島。一昨年11月の大型台風・ヨランダで多大な被害を受けた場所のひとつです。空港に降り立った私たちは、マニラとはまったく違う、自然いっぱいの風景にびっくりしました。真っ青に突き抜けた空、どこまでも水平線が続く海、道沿いに立ち並ぶココナッツの木。たぶん、みなさんが「フィリピン」と聞いてイメージする風景がそのまま広がっている!という感じです。空港まで、COCO no Ki商品を作ってくれているフランシスが自宅から3時間もかけて迎えに来てくれました。彼との出会いはヨランダの直後、支援物資を届けにレイテに向かっていた水井と同じ船に乗り合わせたことがきっかけでした。
ヨランダの被害からもうすぐ2年がたちますが、まだまだ復興の途中です。建築中の家などが多く、葉っぱと実の部分が吹き飛ばされて幹だけになってしまったココナッツの木もたくさんありました。高いところでは7mもの高波が押し寄せたというこの災害から抜け出すには、もう少し時間がかかりそうです。
まず私たちは、カポオカンにある日本人戦没者の慰霊碑を訪れ、お参りしました。レイテを見渡せる丘の上にあり、「鎮魂」と書かれた石碑と、首から十字架をかけたお地蔵さまが祀られていました。戦時中、激しい戦場となったこの地で多くの命が失われたことを、決して忘れてはならないと改めて感じました。
その後ビサヤ州立大学を訪問。海岸がすぐそばにある、とても大きな大学です。ここで私たちは、昔ながらのココナッツ削りを体験しました。フィリピンでは、家庭でココナッツオイルを作る際にこの方法を使います。熟した実を半分に切って、ギザギザのスプーンを木の先端につけた道具で白い部分を削っていきます。力はさほどいりませんが、実の内側のカーブにそってきれいに削るのはなかなか難しく、みんなで苦戦しながら40分ほどかけて、5個分の実を削りました。(この削ったものをそのまま乾燥させると、デシケイテッドココナッツになります)その後削った実を布巾でくるみ、ぐっと搾ります。これは力のいる作業です。真っ白な液体が出てきて、500mlほどの量が取れました。(この搾った後の果肉を乾燥させて粉末にしたものがココナッツファイバーです)この液体を数日かけて分離させるとエキストラバージンココナッツオイルとココナッツミルクができます。今回は搾ったものをみんなで試飲しました。ココナッツの香りと自然な甘みが口の中に広がって、おいしさと共に癒しを感じるほどでした。もちろんココナッツの栄養分も満点なので、ぜいたくな飲み物です。
ビサヤ州立大学には、「ココナッツ研究所」があり、そちらも見学しました。様々な品種のココナッツの木が乱立していて、その間にマンゴーやバナナ、カカオの木が植えられていました。大学の敷地内とは思えない、森のような空間です。1時間以上散策しても周り切れない広さです。ココナッツの実やシュガーの元になるココナッツネクターを収穫する作業は高所のため、危険が伴います。そのため、背が低くても実がなるハイブリット品種の開発などが行われています。背が低くなると虫がつきやすくなるため、虫に強い品種であることも必要です。
大学を後にした私たちは、フランシスの家にお邪魔しました。レイテでは親戚じゅうが近所に住んでいるので、日本からの訪問者である私たちを歓迎してくれました。近所の人たちも、外国人が来たことが珍しいのか、遠巻きに眺めにやって来ました。フランシスが担当しているのは、COCO no Kiのお箸作り。6畳ほどの小さな工房で、黙々と作業をしているそうです。ヨランダで家を破壊され、仕事も失った彼はこのプロジェクトに携わる際に訓練を受け、何度も試行錯誤を重ねて商品を作ってくれています。
翌日は、COCO no Ki商品を作ってくれている別の工房・ダガアスさんご夫妻の家にお邪魔しました。木を切る道具、やすりがけの道具がいくつもある、従業員数15人ほどの工房です。こちらでは昔はココナッツの殻から作る雑貨を作っていました。ヨランダの後、COCO no Kiの製造をしています。ここで私も、お箸作りにチャレンジしてみました。目の粗さの違うやすりで形を整えながら木の表面をなめらかにしていくのですが、同じ太さにするのも難しく、先端が尖りすぎたりもしました。ひとつひとつ手作りのため製造に時間がかかってしまいますが、木のぬくもりを感じられ、ココナッツ特有の木目が楽しめる商品です。本格的な販売まで、もうしばらくお待ちください。
ダガアスさんの計らいで、ココナッツの木に登って実を落とすところを見せていただきました。小さなナタを手に10mもの高さの木を、装備なしでするするっと登っていきます。1分ちょっとで、てっぺんに到達していました。片手で実をねじ取り、下に落とします。地面は草のクッションが効いているので、実が割れることはほとんどありません。
この間も私たちの周りには、昨日以上に近所の子供たちが興味深そうに、でも恥ずかしいのか一定の距離を保ちつつ行く先々についてきました。「日本を知っている?」と聞くと、「知らない!」と言われてしまったのはちょっと残念でした。一緒に写真を撮ったり、日本で買ってきたおかきをプレゼントして「全然甘くないね」と不評だったりと、楽しい時間を持つことができました。
飛行機の時刻が迫り、後ろ髪をひかれつつ空港に向かいました。遅延のため、出発がなんと3時間も遅れてしまいましたが、無事マニラに戻り、その翌日帰国の途につきました。
次回はフィリピンの貧困問題についてです。(文・森本)